聖なるズー

著:濱野ちひろ


犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。

性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、

人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。

そして、戸惑いつつ、希望のかけらを見出していく──。

(本著帯の紹介文)


著者は、心も身体も傷ついた過去がありました。その傷の根本と向き合うため、性的マイノリティと考えられている「動物性愛者」と呼ばれる方々を取材し、その生活や思考・行動を理解しようとすることで、自らを追い詰めた「暴力」や「セックス」とは何だったかのかを思考していきます。私は、著者自らが抱える難題を、異なる難題に向き合うことで、相対的に考え直し、より大きな視点で捉え直すという行為に素晴らしさを感じるとともに、向き合う過程の苦しさに、読んでいる自分が抱える難題にも、必然的に向き合うことになりました。


何かに答えを見出す本ではなく、動物性愛者である「ズー」達との関係やドイツが持つセクシャリティの歴史の中から、「愛」とは何なのか、「性」とは何なのか、「種」とは何なのか、「平等・対等」とは何なのか、そして「人間」とは何なのかをひたすら考え、著者自らが抱える問題と向き合っていく過程が記されています。


読まれる方によっては、センセーショナルでショッキングな印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、そこにあるのは「愛すること」に真摯に向き合い、そして偏見や差別とも向き合う「ズー」の方々の暮らし。動物愛護の向こう側にある、動物は人間が支配する「永遠の子ども性を備えた」ペットではなく、成熟した愛を与え合うパートナーでもあり得ること。「パーソナリティ」は人間だけのものではないこと。自分と、相手の間のみに発現する「パーソナリティ」の相互補完が「愛」を育む種になること。社会規範によって、そして国ごとにその捉えられ方は異なりますが、人間だけが愛を育むことができる生物ではありません。


「病気」「変態」という言葉が示す排他性は危険だ。あの人達は自分とは違う、という線引きをして、そこで思考を終わらせる。(本文引用)


「違うもの」に対しての分断は、より一層進んでいるように感じます。

「わたし」と「わたし以外」の間にある境界線について、ゆっくりと考えるきっかけになる、素晴らしい本だと思います。 

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