『CENTREと人』打楽器奏者 立花朝人

「ひとりひとりの変革を支える」ことをテーマに運営するCENTRE。

『CENTREと人』では、CENTREに関わりのある「人」にスポットを当て、それぞれの仕事の深層と真相に深く迫り、「人」が持つ多様な考え方と進化への道程を共有するインタビュー企画です。


現実に生きる様々な人に触れることで、これを読むお客様への刺激と変革の一助になれば幸いです。


第1回は、CENTREオフィシャルパートナーであり打楽器奏者の立花朝人さん。シルク・ドゥ・ソレイユのドラムオーディションに合格した日本人初のドラムプレイヤーであり、様々なアーティストとの共演と、後進育成のためのレッスン活動を並行しながら、美しい音色を持つ打楽器「ハンドパン」を駆使した独自の楽曲制作と演奏活動でオーディエンスを魅了しています。2023年11月にはちくさ座での単独公演も成功させ、アルバムリリースも行い、次の地平へ向かう立花さんにお話を伺いました。

取材・文 / CENTRE代表 中村恭平

撮影 / さくら工房


結局この年まで音楽を続けることになったのは 、悔しかったから。


——今日はよろしくお願い致します。まず、CENTREのオフィシャルパートナーになっていただいて、もうすぐ1年。立花さんの打楽器奏者としてのこれまでの歩みなども振り返りつつ、伺っていきたいと思います。では、遡りますと、ドラムに出会ったのは吹奏楽から?

立花:そう、吹奏楽から。吹奏楽に出会ったのは、中学校入学の時。部活だね。それは、強制的に部活に入らないといけない、帰宅部というのが許されない田舎の中学校の風潮というか。


——それは吹奏楽に興味があってご自身で選ばれたんですか?

立花:新入生歓迎演奏会に感動したっていうのが1つ。ドラムかっこいいなっていう、その感じ。あとは、昔野球やってて、肘を痛めたというか、 成長痛もあって手が痛いっていうのもあったし。


——かっこいいなって思われたんですね。それまでは全く経験なく?

立花:音楽は聴いてて、音楽はピアノをやってたから。でも、打楽器に関しての衝撃はその新入生歓迎演奏会だったかもしれないね。で、入ってみて、やることになり、やらざるを得なくなりというか。


——結構厳しい部活だったんですか?

立花:今思うと、現代のその部活のあり方とか、やっぱり過去は違うから厳しかったと思う。どちらかというと体育会系のノリなので。うん、厳しかった。


——その時は吹奏楽だけだったんですか?バンドをやるとか。

立花:そう、吹奏楽だけ。もう、ほんとね、村だったから、エレクトリックな音楽をやっている人たちは身近にいないし。ちょっとやんちゃな子たちがエレキとかやってたけど、バンドを組むとかっていう、そういう発想はなかったと思う。


——その時は立花さんは何を聴いてたんですか?ご両親の影響が大きかったんですか?

立花:もうあの時代はテレビが全ての情報源だったから。 演歌番組とかめちゃくちゃ多かったし。だから親とかおじいちゃんおばあちゃんが観てる番組から流れてくるものとか。だから、ドラムに集中して聴くということはなかったけど。ただ、ちょうど吹奏楽を始めた時に、めちゃくちゃ衝撃的なバンドが出てきて。それが「X JAPAN」でした。あ、JAPANにはまだなってない、Xの時で。YOSHIKIですよ。もれなく。それは衝撃だったな。でも、自分がやってる吹奏楽とは全然繋がらないけど。

それで、YOSHIKIっていうか、Xを聴く人たちが増えて、それまでは全然音楽とか全然わからんから、親が買ってきたCDとかカセットを聴いてて、やっぱりかっこいいと思ったのかな。かっこいいと思ったし、これがドラムなんだなと思った。

それと同時期に、 吹奏楽のカリスマはやっぱり「T-SQUARE」とか「カシオペア」で。そのアレンジ版を吹奏楽部はよく演奏するんだけど、「T-SQUARE」のF1のテーマとか、『Truth』とか。それがすごくやりたくなってね。

すごくはしょると、結局この年まで音楽を続けることになったのは、悔しかったから。


——それは、自分の力量とか、そういう面でですか?

立花:とてもシンプルに、例えば同学年の子たちとかは上手な子がいるわけで。 僕の場合は特に顧問の先生から怒られるタイプなの。もう拍子は取れないし。バランスもよくわかんないし。それはね、中学も高校も変わらなかったかもしれないな。


——立花さんは学ぶスタンス的に真面目だったんですか?

立花:音楽に関してだったら、真面目だったんじゃないかな。練習はしたし。ただ、怒られるっていうのが、怒られるっていうか、叱られるっていうのかな。吹奏楽で1番大きく影響っていうか、学んだのは、吹奏楽は集団の音楽だから、1人が足を引っ張ると全部が止まる。申し訳ない気持ちと、昨日も怒られたことでまた先生に怒られてっていうのが恐怖でもあったけど、なんていうか、言い方が適切かわかんないけど、恥ずかしめに合うというか。またあいつ怒られてるっていう、みんなの前で怒られるところ。それが最近の、現代のね、そういう部活ってなかなかない気もするし、あの時は時代が時代だから、まあ、怒られるし。指揮棒が飛んでくるとかね(笑)。

先輩は全然容赦なくスティックで殴ってくるし、殴るっていうかね、殴るんだな。それが、いつか見とけよ、と思っていて。

で、やっぱり、大会が必ずあるから。なんかね、始めた時に、先輩たちが全国制覇とか言ってるわけ。そのレベルじゃないのに。甲子園とか、高校サッカーとか、優勝するのは1校だけなわけで、全国制覇っていうのを掲げるのは簡単なんだけど、まず県大会があったりとか、地方大会、関東大会とか東海大会で、その先に全国があって、さらに、そこで勝つっていうことが、いかに遠いかみたいな。中学でそれができなかったから、高校に行って、全国とか狙えるようなところに行ったけど、そこでもできず。


——狙えるようなところに行こうと思ったんですね。

立花:行こうと思いましたね。このままでは終われんと思って。昔からなんだけど、これは親の教育もあると思うけど、簡単に辞めさせてくれなかったの。 もうピアノ教室が嫌すぎて、どんなに泣こうが連れてかれるし、行ったら行ったでピアノの先生に怒られるし、みたいな。でも、最終的には辞めたいなら辞めていいよって言われる。辞めたいなら辞めていいよって言われて、辞めますって言えなかった。なんで辞めたくなかったのかわかんないけど。 

で、中学3年間やって、3年やったことを、高校で新しい部活に入る勇気もなかったし、高校卒業する時に6年間やったのにここで辞めるのもなってなって、大学行って続けて、で、10年間やって、もう辞めるタイミングがなくなっちゃった。

っていうのと、やっぱり全国制覇って、みんなでこう、青春だったのね。それで高校、大学って上がっていくうちに、プロフェッショナルを目指してくる人たちが増えたんだけど、やっぱりみんな就職とか。なんかその人たちが夢見てた、要するに全国制覇なら全国制覇っていう夢を、なんていうのかな、引き継がないといけないというか。みんなは辞めるけど、俺は辞めなかったら、その子たちの夢をいずれ叶えることができるんじゃないか、みたいに思ったことがあって。

でも若い時、大学卒業した頃にむちゃくちゃ葛藤してたのは、 就職した方が良かったなって思うことがたくさんあって。だんだんみんなこう、大人になっていくように見えた。社会に適合していくと。でも、今更だなと思った。それが20代はずっとあって、、 いろんな仕事をしたけど、安定感というのはどこにいても求めれないというかね。そしたら、この年まで来て。

他の打楽器奏者になくて、自分の独自のスタイルをやってるつもりはなく。だから、バンドを組んで、それも言うたらちっちゃな集団。例えばでかいところを目指す、売れていくとかっていうことから興味がなくなったんです。 もちろんバンド活動もしていたし、この先にいつかこのメンバーもまた誰かが辞めていく。結局、あの頃バンドブームの時でもあったから、 なんだかんだ残るのボーカルだけだなと思って。でも、そのボーカルですら自分で演奏できなかったら、 曲作れなかったら、辞めざるを得なくなるでしょ。

なんかこれは今も生徒たちに個人的に思うのは、バンドで売れていくっていう夢は掲げてていいと思うんだけど、その潰しを効かせるためには、例えば指導力だったり、専門的知識も一緒に磨く。 単に、かっこいいだの、流行りの音楽だのでやっていくと限界は必ずくるしね。

そのバンドやってる時に、この先に描けるものって、さらに年を重ねて再就職できませんの年齢になるんかな。自分よりも何個も下の新卒の子を先輩と呼ぶんだな、とかってなったら、それも、なんていうかね、怖くなったというか。就職しなかった自分というか、他の仕事に安定を求めなかったことに対して、後悔すると思った。

割と本音の話だけど、すっごいお金持ちになって、カリスマ的な打楽器奏者になるとは思ってはなくて。もう、それは今世はもうないなと。そこじゃないなと。

でも自分のスタイルを、例えば100年後の人たちが、現代の人間ではなく、100年後の人たちが、実はこんな人が存在していたんだよっていうのが残れば、自分にとって価値かなと思う。それが価値であり、勝利の意味の価値でもあるのかなって思ったりもして。

その時に、人と比べるのやめようと。で、人と比べるのやめようってなったら、1人でやっていくっていうのかな。そのバンドっていうスタイル。誰かと常にずっとやっていくっていうことにしがみつかなくても、必要とされる時は必要とされる縁があるし。仮に一緒にやってみませんか、あるいはこの演奏を助けてくれませんか、とかっていう話がなかったにしろ、それが大きく自分の軸をぶらすことには繋がらないなと。

最近思うのは、例えば3日間ぐらい、なんか全然音楽っていうことが頭によぎらない日が3日間続くと、4日目に必ず音がおかしくなる。それはトレーニングを毎日するということとはちょっと違って、その感覚を意識していれば、仮に3日間なり1週間なり、そのトレーニングができない期間があってもイメージ通りになる。イメージというか、指先でスティックを持った時に、楽器を目の前にした時に、何かがずれてるって思わないようになった。

それがね、自分の中で持っている唯一の強さかもしれない。

例えば、いきなり人前で演奏してください。あるいは、そういうトレーニング不足っちゅうのかな。単なる練習量の、時間の不足があったとしても、ここ1、2年は特にだけど、全く緊張しなくて。今まではね、いい演奏をしようと思ったし、すごいことをしたいってやっぱり思ったわけだけど、それがなくなった。

それ、自分の中でなんで全く緊張しなくなったんかなと思ったら、お客さんってさ、僕が応援されてる、僕を応援しに来てくれるって思ってたの。だけど、お客さんは応援されたくて来るわけ。

そのチケット料金なり、あるいはね、ライブハウスでライブするなら、非日常の音量をそこで浴びるわけだし。俺はずっと、そのお客さんっていうのは立花朝人を応援してくれてると思ってた。だけどそれは逆で、大丈夫だよって。 うん、全然。ここに戻ってきてくれてありがとう、明日からも頑張ってっていう応援されてる気だったのが、応援してる方なんだなって思った時に緊張してる場合じゃないんだよね。それが今ある強さかもしれない。

だから誰とも比べないし。他の人たちは他の人たちのスタイルがあって当然だと思うけど、俺は別に自分のスタイルをやってるっていう風にも思ってなくて、自然とそうなってるだけなんだけど。


——だからこんなに優しいんですね。ご縁を大切にされる方だなと思うので。

立花:そうです。全てはそうだから。


——生徒さんがいっぱいいらっしゃる中で、年代も様々な方がいらっしゃる中で、自分のその感じてきたこととか、 指導する上で影響してますか?

立花:してますね。大人になって始める習い事って。あくまでもプロフェッショナルになりたいわけではない。その日常の中の楽しみの1つとして求められてる時ももちろんあるし。それが大半だと思うよ。

逆に、子供たち。まだ中学生とか小学生とかは、親御さんの期待もあったりするわけ。ただし、部活をやってるわけではないから。

俺そこはね、他の先生と違うのは、宿題を出さない。基本そんなのはやらなくて。

こうするといいと思うよっていうアドバイスの仕方は人によって変えるね。その人がどのキーワードで反応するかわからないので、やってることは、最終目的地は一緒なんだけど、どのキーワードが今日この人に響くかな、は常に意識するんだけど。

それは自分のずっと、、どちらかというと厳しい、、吹奏楽環境は厳しかったので、「なぜできない」「なぜできない」って言ってきた先生なり先輩なりの言葉よりも、「こうしてみたら?」って提案された時の方が響いたなとか。

でも逆に、「あ、こんな程度でいいんだな」ってちょっと甘い考えになりそうな時は、ちょっときつめに言われてた言葉とかがやっぱりフラッシュバックしてきて。それはやっぱり経験だと思うから。だから、その感覚をちょっと使い分けてというか。それはめちゃくちゃ大事にしてるかもしれないね。


——指導者としての顔と、プレイヤーとしての顔っていうのがあると思うんですけど、感覚的には違うものですか?

立花:感覚的には全く違いますね。指導者として、まあ、そんな偉そうなもんでもないけど、その人の上達のためにね、指導者としてやることっていうのは、あくまでもその方が主役であり、すごく難しいのが、その人の個性を殺してはいけないので。

立花朝人と全く同じ音を出されてたら、それは失敗だと思うね。指導としては失敗で、その人の個性を残しつつ、その人が、音楽って面白いな、演奏って面白いな、 あるいは自分の特技の1つ、自分のこのセールスポイントの1つになってくれるためにはって思って音を出しているので。

ただし、本番、自分がプレイヤーってなる場合は、自分の内なるものと対話をするから。誰かに対してのものではなくて、自分との。

ま、対話って言ったらかっこよく聞こえるけど。

あれかな。お箸を持つときに無意識にもてるでしょ?それはやっぱりスティックを持った時とか、楽器を前にした時に無意識の部分があるんだけど、 俺が思う音楽っていうのは、目の前にものすごい高速な速さで何かが飛んでるものを捕まえてるだけなの。自分の中でイマジネーションが出てきてるものを、右手左手関係なく「来た!」っていうのを感覚的に捉えに行ってる。それは、自分との対話がむちゃくちゃ大事で、だから、全て日常の中で、この人の考えてることをどうやって音に変えていくだろうな、俺だったらっていうような、音楽っていうものがどうしてもあって。

その、他人との対話じゃなく自己との対話。それはプレイヤーとして。立花朝人の音は、良い悪いは別として、 立花朝人にしか出せない音ってのは、そこにあるんだと思うよね。


——ドラムを演奏してる間も、そういう感覚なんですね。

立花:そういう感覚。で、ドラムを演奏してる時は、これはとっても不思議なんだけど、例えばCENTREの月1の公演で演奏してる時に、 普段なら全く気にならないんだけど、そのCENTREのスタッフさんの動きが気になる。それは、演奏に集中してる自分と「あと何分であの人のドリンクが出るな、、」とか、 普段見えない視野がめちゃくちゃ広がってる。


——もう1人、俯瞰している自分がいる。

立花:そうそうそう。客観的な自分がもう1人いる。その人はね、その立花朝人はものすごく冷めてるの。冷静な。でも演奏している自分はストイックっていう、もう1人ポコンって浮かぶ感じ。それがやっぱりレッスンの時とかはもちろん出てこないので。そこはやっぱ違うんじゃないかな。


できない過程は1回なんだ。できたらもうそれは一生できる。できない過程を楽しみなさい


——演奏者として、立花さんを語る上では、「シルクドゥソレイユ」っていうのは外せない要素だとは思います。日本人でこれを語れるのは立花さんしかいないわけですし。まず、それを受けようと思ったのはどうしてですか。

立花:これはね、紹介です。


——そうなんですね。やってみないかという?

立花:そう、やってみないかだったんだけど、その時はシルクドゥソレイユって知らなかったので。

共演した某アーティストのサポートで、一緒に演奏したギタリストの方がね、外国人の方で、日本の文化に慣れてるんだけど。でも、音楽的な深い話まではあんまりできないから、一緒にリハーサル入っても、本来技量を持ってるのに、すごく萎縮しちゃってて、できなかったの。

で、その方が、すごいこう、、音を出すことを怖がっていたのね。でもすごく弾けるんだよ。で、本来のそのパフォーマンスができなかったので、個人的に、そんな怖がらなくていいよってこう、、、で、ちょっと一緒にお酒でも飲もうよ、みたいなので、プライベートの付き合いがちょっと始まったの。

そしたら、「君なら、合否は別として、君なら楽しめると思う」って言われた。挑戦してみないか?って。何に挑戦するか全然わかんなかったんだけど、もうできないっていうことが楽しいだろっていうのがきっとわかるよ、みたいな。逆に励まされた感じになって。へえ、何のオーディションですか?って聞いて。リンクを送ってくれたの。そしたら、それがシルクドゥソレイユだった。その時は衝撃すぎて、うん。やっぱりシルクドゥソレイユの凄さというか、難しさというか、特にそのオーディションリンクページを開いた時に、見たことない曲っていうか、見たことない楽譜で、解釈の仕方がわからなかった。今までやってきたことをあと100年かかってやってたとしてもできないなと思ったレベルだったの。

もう、なんちゃってで音楽やってきたしなって思ってるんだけど、なんちゃってがこんなガチなものに挑むのは到底無理だと思った。だけど、とにかく紹介してくれた彼がね、「楽しそうでしょ?」って言ったの。

で、練習を始めてみるんだけど、もうすぐわかるじゃん。自分がどこまでできるかって。全然できない。全然できないなっていうのを彼に伝えたら、「面白いでしょ?」って言ったの。「できない過程は1回なんだ。できたらもうそれは一生できる。できない過程を楽しみなさい」って言ったの。

そんな感覚で今までトレーニングしたことないので。でも、ちょっとずつやってくとね、1日1小節ぐらいはできるようになってくる。あ、体に入ったな。脳が分離するっていうか、「あ、できた。」っていう瞬間。

課題曲、4曲だったんだけど。学生時代なんて、すごく練習できる時間があるんだけど、もしかしたら、自分が大人になって、練習ができるっていう時間は、これが最初で最後かもしれんと思って、すごく練習した時期があるのね。で、それによって、自分が何かから解放されていく感覚と、よりドラムを操れるというか、自分の中から、何かが変わっていくことに気づいて、 そしたら、できた。

で、応募してみようっていう。もう、受かる受からないっていうのは宝くじと一緒だから。時の運もあるし。

課題曲4曲は、youtube審査だったんだけど、その専用ページから送ったの。でも、その専用ページもなんて書いてあるかわかんない。ポルトガル語だったり、英語はもちろんあるんだけど、なんか難しくて、わかんないなと。で、彼と一緒にその送信ボタンを押して。そしたらね、合否じゃなく、「Congratulation!」つって、おめでとうって、今日はワイン飲もうみたいな。

そしたら、もう合格発表なんてどうでもよくなったの。あ、この人がいなかったら、こんなに練習できる時間を大人になって持てなかったな、持たせてもらえたなって思ったの。

だからね、挑戦した理由っていうのは、彼がいつも笑顔だったからか。 うん、できないってなってるんだけど、彼はなんかね、「それが素晴らしいんだよ、それが楽しいことなんだよ」っていう。

今までそういう逆境を楽しむとかってさ、そんなの意味がわかんないなと思ったんだけど、あれはきっとそういうことだったんじゃないかな。


——その、「できないのは1回だけ」っていうのはすごく響きますね、挑戦する人にとって。

立花:そう、できない過程は1回だけ。


——1回だけですね。できるようになったら、挑戦という感覚は得られないですものね。それが大事ってことなんだなと思いました。そこから結果的に、いい知らせが来て。それを機に、ドラマーとしての立花朝人って、何が変わったんですか?

立花:これはね、めちゃくちゃ変わったんですよ。技術追求型をやめようと思って。今までどうしても勝つとか、すごいって言わせるのは技術だと思っていて。そういう教育を受けてきたし。とにかく勝つためにはっていう。 だから、ああいうコンクールとか、オーディションって、勝てる曲と勝てない曲はやっぱりあるわけで。

これは父親に言われたことだけど、なんて言ったんだっけな、「もう技術を追求していくのから解放されたら?」って言われたのかな。なんか、それに近いニュアンスで言われて。もう「富の追求は終わりを知らない」っていうジョブズみたいな感覚と一緒で、技術の追求はいつか限界が来ると思うし、自分にそのスキルと才能があるとは思えない。でも、シルクドゥソレイユがね、そのオーディションに受かったっていう時点で、もう自分の中で1つ、上手になりたいっていうのから解放されたっていうんかな。

で、もっと表現。音を埋めることから、音を引いていくこと。その場に、合うもの。

若い時はさ、どれだけ酒が何杯飲めたかとかってさ、その量で張り合ってたけど、そうではない。美味しい、一杯みたいな。その場の空気に合ってるなっていう、存在感のある飲み方。


——それでもいっぱい飲んでますけどね(笑)。

立花:(笑)。それがね、1番大きく変わったと思う。だから、他のプレイヤーの方を見ても、悔しくなくなったっていうかな。比べることから解放されたというかな。うわ、素晴らしいな!俺にはできないな !って思えるようになったのね。それはね、勝ち負けじゃない。相手を認めることになって。うわ、そんなプレイは俺にはできないな。 だから、素晴らしいな。逆に俺はこういうのができるなんていうのも思わないの。思わなくて、うわ、素晴らしいなって思うプレイヤーはやっぱりたくさんいるんだなと思ったし。

あの、割と本音で話すんだけど、 仕事が来ないって嘆いてる人って、、別に俺はそんな仕事が来るとかそういうんじゃないよ。やっぱり技術を追求する人ってとんがってるから、音楽家である前に、人としての棘がすごく強くなっちゃう。だから最近はね、音楽に限らず、よく丸くなったねっていう言葉があるんですよ。大人になると。昔よりだいぶ丸くなったねっていう、あれはとてもいい言葉だなと思って。

やっぱりこう、今まで縁っていうのはさ、平面の考え方だったんだけど、それはだんだん立体的になってきて、すごい球体なんだけど、こっち側にいる人と反対側にいる人って、繋がらないと思ってたんだけど、それが繋がるっていう。

そう、だから、合格ってなった日には、ちょっと鳥肌立ったというか、人生で多分1番びっくりしたけど、徐々に徐々に、大したことじゃないんだなと思った。技術が認められるというのは、練習すればできる。 でも、シルクドゥソレイユの合否っていうものでは測れないものとこれから向き合うんだなって思ったら、喜んでる場合じゃないなとは思った。


——技術を高めることに焦点を置いてる人は、やっぱり人間性も尖っていくっていうのは、お仕事をする上でもすごく感じることってあって。ミュージシャンじゃなかったとしても、そういう人ってすごくいっぱいいるんですよ。その上で、ご縁というか、 誰かがいいるっていうこと、それを伝える対象がいるっていうことっていうのは、お仕事の上で大切なんだとすごく感じますね。ミュージシャンも多分そうなんですよね、きっと。この人と一緒に仕事したいって思われないといけないわけですから。

立花:そうそう、特に日本の場合は、芸術っていうものに関して、やっぱりヨーロッパと違っていて。コロナで1番よくわかったけど、ヨーロッパって、最初に誰を助けるかって、助成金だったりね、ああいうのものが最初にアーティストに行ったんだよね。日本の場合は、エンターテイナーとかクリエイターってよりも、それこそね、日本の経済を支えている、そういう仕事をされてる方。根本的な民族性かもしれないけど。


——どちらかというと規制される方になりましたからね、エンターテインメントは。

立花:そうなの。だから、今現在続けている人たちは、 乗り越えたなと思う。そこもね、やっぱリスペクトあるし。苦しかったなと思うし。


——コロナの期間中は、どういう感覚で過ごされてたんですか?思い出したくもない感じですか?

立花:いや、覚えてないってのが正解かもしれんね。ずっと、多分、 モヤモヤと不安と。これはね、別に音楽家に限らずだったと思うけど。


——表現の場を絶たれたというか、そういう部分が多かったと思うんですよね。レッスンはその時は?

立花:はい、もちろんやってないですね。オンラインを挑戦したけど、やっぱりちょっと難しかったしね。打楽器の場合って。何してたんかな。うーんって思う。


——その時に、何か他のことに手を出したりとか、そういうことではなかったわけですか?

立花:遊びでだけど絵を描いてみたりとか、こう、、人と会わなくても済むような、、、でも、その頃がハンドパンかなあ。


——そうですか!出会ったのはその頃ですか?

立花:出会ったのは、もうちょっと前。コロナの頃はちょっと曲を作るとか。ハンドパンも今や自分の大事な一部だけど、最初は自分が楽しかったからやってただけで。別に曲にするとか、誰かに演奏とか、そういうものはあんまり考えてなくて、面白かったからやってたんだけど。


——面白さはどこにあったんですか?

立花:面白さは、やっぱり打楽器奏者って1人でライブができない。自己完結できないから。それがね、リズム、メロディ、ハーモニーを1人で奏でれるっていうのが魅力だった。コロナ中はドラムが叩けないんですよね。スタジオやってないし。だから、ハンドパン背負ってどっか出てくとかね。 人に見つからないようにっていうかな。コロナ第1波の頃はそんな感じで、そこで触れる機会がより多くなったみたいな。


——ハンドパンが立花さんの中で、大きな存在になっていったのは、 何かきっかけがあったんですか?

立花:元々誰かの曲をやっていたわけではもちろんないから、キーとかもわからないし、適当にやっていたんだけど、 いよいよハンドパンが自分の中で、真剣に向き合うきっかけになったのは、「MIO-美音-」を組んで、伊藤智美君とやるよってなった時に、 彼の繊細さというか、彼の音楽性に対して、適当にやるわけにはいかないってなり。

で、なんとなくポロポロ叩いたものを送ったら、とても的を得たギターをつけてくれて、この曲ってこうなるんだなって思ったもんね。それからかな、ちゃんとやるっていうんかな、自分の中でドラムと同じ意識になったというか。

うん。それが変わるきっかけだったかもしれないですね。

ただ、ドラムはいろんな人に習った結果。ドラムっていうのかな、打楽器っていうのは。いろんな人に指導していただいた結果が今だから、自分の中で比べるものがあるんだけど、ハンドパンっていうのは、見様見真似で始めたし、まだ歴史も浅いから、教えてもらうっていうことが、ほぼほぼのハンドパン奏者の方はないんじゃないかと思って。


——ご自身で触って、模索されたんですね。僕がネットで見たりとかした限りの中でも、どれでもないですよね、立花さんのハンドパンは。

立花:どれでもない、って言われる。


——非常に日本人らしいと思ったりします。

立花:ドラムの場合はね、こういう時代がありました、こういう音楽にはまりましたもあるけど、ハンドパンの場合はなくて。絶賛模索中だけど、まだね、正解ってのはやっぱわかんないし、音楽って正解が難しいから、そう、自分で正解だそうとしてもね、うん、第三者だからね。


——それが、先ほど言われた、100年後決まることなのかもしれないですね。

立花:そうなの。だからね、生まれ変わりがあるとしたら、音楽やらんだろうなって思う。 もうちょっとわかりやすいのがいいなと思ったりするけど、まあどうせやるんかな。


打楽器奏者こそ、そこにメロディを意識し、自分のリズムを歌えるかどうか。


——曲を作るときはどういう風に意識して作るんですか?狙いを定めて作るんですか?

立花:狙いを定めずに作りますね。ハンドパンじゃなくても、曲を作ってる時っていうのは、手が勝手にそうなるみたいな。


——それは、自分の中に流れてる音楽性みたいなものがやっぱ出るんですかね。

立花:やっぱり音楽は自分の好みが絶対あるから、どこかで聞いたものと何かが共鳴してるのかもしれないんだけど。

ただね、曲ができる瞬間って一瞬なの。なんでか自分でもわからないの。よし曲作ろうって思って、例えば今日は曲作りの日って決めても全くできないのに、全然関係ない時にちょっと触っただけでメロディーが出てきたり。


——頭の中で作るんですか?楽器を触って作るんですか?

立花:触って作ります。なんかね、考えれないんだよね。これは頭の中ではできないな。実際にその楽器と対話しないとわからない。

ハンドパンがすごいなって思うのは、音数が少ないから違和感がすぐわかる。この感じ違和感あるわってなると、そっちに行かないだけなので。ただ、面白いなって思うのは、音数が少ないってことは、作れる曲の幅って狭くなると思ってたんだけど、ならないなと思って。なんか全部違うような感じになるし、それは不思議。


——11月のリサイタルの時に発売を開始した、そのハンドバンソロのアルバムも、バラエティに富んでたと思うんですけど、 あれは昔からの曲も含めて作った感じでしょうか?

立花:ですね。含めてですね。


——メロディックなアルバムだったじゃないですか。メロディー重視のアルバムだなとすごく思って、POPSだなという風に映ったんですけど、それはもう立花さんが思う、ハンドパンらしさが出た結果なんでしょうか?

立花:それはね、わからないですね、自分では。結果論ですね。メロディアスだねって言われたら、あ、そうなんだって思うし、うん。

一度、その空間系というか、メロディーがちょっと捉えどころがない感じのをやってみたことあるんだけど、自分でもわかんなくなっちゃうので(笑)。

ってなると、自分の中で歌心が乗せれないから曲にならないていうのかな。ただ絵と一緒で、何を物語ってるか作者にしか分からないようなことも、即興音楽としてはありだと思うし。でもこれを毎回毎回どこかでやるとか、音楽として届ける時には自分的には合わないなと思ったの。メロディーがわかってると、強弱だったりとか、その日その時の空気を読んでメロディーを込めれるんだけど、抽象的な感じの音楽っていうのは、ちょっとね、わからない。

だから、自分の演奏でトランスする民族、アフリカだったりとか、それこそインドだったりとかっていう、覚醒のための、トランスのための音楽とはちょっと違うのが、自分の軸にあるから。

ただね、最近そのトランスの部分をわからなあかんなって思うようになって。人が音に求めているもの、それは宗教的に神と繋がる民族もあるだろうし、例えば精神的に重たいものから解放されるための、治療っていうか。療法的に音楽を必要とされる時。

メロディーがあることのすごさと、メロディーがないことのすごさとが、どっちもが共存する音楽ができたら、自分の中で何かもっとクリアになるかもしれないね。


——音楽の発祥とかまで遡ると、そういうところになるんですよね?儀式的なところだったりとか、何かを象徴するものだったり。

立花:元々は音楽は「楽」ではなかったから。「音」だったので。

日本に生まれて日本に育つと、やっぱり民謡にしろ演歌にしろ、 日本特有の、日本古来の音楽は必ずメロディーがあるから、メロディーがないという環境。ただそれを知りたいなと思うように最近なっている。


——打楽器奏者である立花さんにとっては、いいテーマかもしれないですよね、それって。

立花:うん、打楽器って結局メロディなんだと思う、やっぱり。よくね、リズム楽器とかって言うけど、リズムっていうのは全ての楽器に共通してると思うし。打楽器奏者こそ、そこにメロディを意識し、歌のメロディーじゃなくて、自分のリズムを歌えるかどうか。

誰が叩いても鳴るからこそ、そこのリズムに歌がないと。その歌のあるリズムのすごさっていうのはね、ほんとに心地いいと思うし。

だからね、ずっと嫌いだった自分のドラムが。


——それ、いつぐらいまでですか?

立花:シルクドゥソレイユに受かるまで。

だから俺、自分が今までレコーディングしてきた作品って、まず聴かない。聴けないの。だって歌がないもん。そこのドラムはロジック的にはハマってるんだけど。うん、でも最近ね、自分の演奏のyoutubeとか見れるようになったのね。 それはね、自分で何をやってるか自分で覚えてないのもあるんだけど、その共演者の方と作るという感覚もあるし。 自分のドラムがね、なんかその日その時の、2日酔いの音もしてるし、めちゃくちゃ体調いい時の音もあるしって、「あ、これだけ俺叩いた時歌ってんだな」っていうのが面白くなるようになってきて、それが聴こえるようになってきたの。

めちゃくちゃ時間かかったなと思って。よくドラム始めてもう数年でプロになりましたみたいな人たちもたくさんいるけど、軽く30年かかったか、みたいな。ドラムで歌うってこういうことなんだなって、最近ちょっとそれは面白いなと。 ただそれはね、ハンドパンをやってきたからかもしれないし。もう技術先行型じゃなくなったし。


——ハンドパンによって歌心みたいなものが備わったのかもしれないですね。

立花:備わったと思いますね。何か机をポンって叩くときも、ポンって先に頭に出てくるの。 何かを触るって時になんか出てくるのね。だからもう全てのその叩くっていう動作が、打楽器に繋がってるかなって思う。

それはシルクドゥソレイユに受かる前はそういうのはなかったから。楽譜通りにとか、テンポに正確にとか。ある意味当たり前っちゃ当たり前だけど、正直言って面白くなかったもんやってて。ライブって自分が好きでやるはずなのに、これやる意味あるかな、みたいな。

特に情熱燃やせます、みたいな感じでもなかったんだよね。だからね、機材を磨いたりとか、 チューニングしたりとかっていう方が面白くて、プレイすることよりも。やたら楽器をこう分解してみたりっていう、リペアー的な方が面白くなっちゃってるなっていうのはずっとあって。

叩く人、別に俺じゃなくていいな、みたいなはその頃感じててね。だから、シルクドゥソレイユが4年前5年前 ?それまでのドラムっていうのは、自分的には達成感はなかったかもしれん。 最近はね、1つ1つのステージで達成感というか、楽しめているからそれはいいかなと思うけどね。


打楽器って、響くものだからさ。 楽器が響くっていうよりは、人に響くわけで。


——去年の11月のソロリサイタルあったじゃないですか。あれはドラマーとして、どういう意味があったんですか?

立花:あれはですね、ドラマーとしての意味は考えてなかった。あれはね、何ヶ月も準備というか、イメトレの時間があったけど、ドラマーとしてっていう自覚は全くなくて、打楽器奏者っていう、ワードだけを突き詰めた感じっていうのかな。なんかね、ドラマーって言われるとね、しっくりこないのよ。

スタイル的にはちょっと変わってるかもしれないけど。1番違ったのは足がついたことっていうかな。動きがあるっていうね。魅せるっていう。ドラマーはどうしても座って固定されるから。ただね、和太鼓とかやっぱり動くし、その凄さ。だからドラマーというカテゴリーではなかったかもしれない。


——終わってみて、立花さんにとってはどうだったんですか?終わってみて、何が残ったんでしょうか?

立花:人が残りました。もちろんあれだけの規模を1人で楽器組み立ててなんて到底無理だなと思ったし、やっぱりね、公演終わって最後の一音出した時は、人に恵まれてるなと思った。もう音楽とかじゃなかった。売れる売れないなんていうことにこだわっていた20代とか、なんでこれだけ練習してんのに認められないんだろうとか。やっぱりそれはクリエイターとしてはどっかにずっとあるんかもしれないけど、今日の演奏めちゃくちゃよかったよね、とか、そんなの全くなく、演奏とかは全然、最後の1音出した時思わなかったんで。

すごい数のね、ボランティアスタッフの方が手伝って下さって。準備から最後の撤収まで。その時に、あ、俺のスタイルって正解だったなと思った。今やっていることとか。やってきたこととか、報われるととかじゃなくて、正解だなと思って。

結局打楽器って、響くものだからさ。 楽器が響くっていうよりは、人に響くわけで。あの時にそれは強烈に感じたこと。

ドラマーとしてどうだったか、演奏としてどうだったか、あのスタイルがどうとかは、今でも思わないかな。 あれを振り返ることってのはまずなくて、満足度とかは全然ないの。ないっていうか、自分の中にはないので。ありがたいっていう感覚はめちゃくちゃある。それしかなかった。


——確か、12年前にも1度やられて、その時との違いみたいなものは感じました?

立花:感じましたね。あれは名古屋に来て1年目に無理やり挑戦したんだけど、 関わってくれた人がこれだけいたんだなっていう、その12年の重み。その当時の縁ももちろんあるけど、12年かけて拡がったというか、繋がったというか。

12年前にやったけど、やってることは似てる。で、演奏に関してだと多分どちらも大して変わらない。内容的には大して変わらなくて。ハンドパンがあるかないかは別としてね。12年前も真剣にやったし、今回も真剣にやったから。ただ、人が圧倒的に数が違った。


——立花さんの人間としての成熟度も全然違ったんじゃないですか?

立花:全然違ったんでしょうね。 それは良くも悪くも丸くなったと思うし。ただ意識的にはね、尖ってる部分ももちろん持ってないと。

すごい憧れてるドラマーの方がね、今日が最先端であるべきなんだっていうのをね、昔言われたことがあって。それがずっと残ってて。あの時が1番上手だったねとか、あの時の音楽が1番良かったねとかって。いや、今日でしょっていうのは常に意識してる。そこだけかな。今あるプライドみたいな、大事にしたいと思うことは。


——ということは、立花さんはこれからどうなっていくんですか?

立花:僕はですね、より一層内に目を向けるんじゃないかな。


——うち?

立花:うん、自分の中に。

結局、誰かと比べるっていうのはすごい虚しいことで。もっとこうになりたいっていうのが外に希望を持つものだともう終わらないと思うし、それは結局何もないんだなって思う。まあ、諸行無常ってやつですね。だから、今日の自分の音を明日超えれるかどうかとかさ、かっこよければとかそんな感じなんだけど。すごくシンプルに。

立花朝人にしかできない音楽は、本人にもわからないのよ。でも、知りたいなと思う。そのためには内面との対話がものすごく大事だと思うし。目に見えるトレーニングだけではなく、精神的な強さだったり。

結局、音楽は目に見えないものを届けるので、目に見えないものを届けるためには、 周りからは見えない自分の心の中をもっともっと見つめんといかんかなって。もっと僧侶みたいになりたいですね。


——だから、インドに行くんですか?

立花:そうです。そうですよ。


——とても大きな転機になりそうですね。

立花:インドに行くんじゃなくて、呼ばれるんですからね。今、呼ばれてますからね。ただ、インドに行くっていうこのタイミングで、改めていろんなことを学び直してるんだけど。


——それは、人のことだったり、宗教のことだったり?

立花:うん、インドっていう国のことだったり。

やっぱりね、宗教の聖地であったりとかするけど、実際家に仏壇があったり神棚があっても、そこまで深く追及しようなんていうことはなかなかしなかったんだけど、改めて先祖だったりとか、生と死だったり、そして何より、音。まだ行ってないからあれだけど、ずっと鐘が鳴ってんだって。ずっと音楽が流れてる。それはね、音楽じゃない。

だから、どうしても娯楽のための音楽を提供してきたから、除夜の鐘みたいにね、特別な日はお寺の鐘を意識するけど、普段は鳴ってないみたいなのが、やっぱり日本だと思うんだけど。インドはそうではないらしく、そこにある音階だったりとか、踊ってる人もいるっぽいし、祈りを捧げてる人だったりとか。音楽っていうのは果たしてどういうものなのかを見てみたい。

やっぱりこう、ガンジスに流されていく方とか、やっぱり貧富の差が激しい国だから、そこにはきっと欲も、もっと露骨な欲の人もたくさんいるんだろうし、っていう中で、自分はそこに動じるのか動じないのかとか。多分、最初はショッキングだと思うんだけど、その3週間の中で、変わるだろうなと思う。もうそれは多分、今後の人生にずっと持ち続けるぐらいの出来事が今回の旅だと思うから、そのあと帰ってきた時に自分が放つ音っていうのがどうなってるかは全くわからん。全くわからないっていうことが、とてもワクワクするし、なんなら、帰ってこないかもしれんしね(笑)。

打楽器っていうのが、7万年前にはもう存在していたっていう意味を、少なからずそれに近い文化のある、残ってる国っていうのに行って、自分は打楽器奏者なんだなって、自分が演者なんだな、クリエイターなんだなとか、そういうのがね、全部外れるんだと思うんで。今世ではもう使命だな、みたいな。疑うこともなくなるんじゃないかな。


——楽しみですね(笑)。

立花:楽しみですよね(笑)。


今日のプレーが最高だったなって思わなければ、それはプロなんじゃないかな。


——では、長々と伺ってきましたけど、まずドラムをやっている、 今頑張ってる方々も読むかもしれないので、若いバンドマンでもいいですし、生徒さんもたくさんいらっしゃって、そういう方々に言いたいこと、ありますか?

立花:そうですね、、。

上達をしたいなら、今はネットでもいろんな情報が取れるけど、もう「これ!」って決めた練習法1つだけはとにかく追求する。もうとにかくそれ以外はやらなければいい。なんでもかんでも広く浅く中途半端にやると結局ね、何も残らない。何も上達には繋がらないので、技術的な上達は1つの基礎練習をとにかくずっとやる。それが気がついたら2時間経ってた、気がついたら3時間経ってたってなったらもう最高。その人は絶対に上手になる。

ドラマーとして、これはまだ俺も悟っているわけではないので現時点での経験だけど、経験から来ることでの一言。自分の感情を殺さないこと。我慢をした音って聴かされてる方がしんどいね。で、 何かにストレスを感じながらやる音楽っていうのはやっぱり違うと思う。それはさっきのね、練習と一緒に結びつくかもしれないけどね。 若い子はさ、まあ俺も若いんだよ? あっちも好き、こっちも好き、あのドラマーも好き、このドラマーも好き。それはあっていいと思う。あっていいと思うけど、あくまでもそれは身近じゃない方がいい。身近な人と比べてたって、自分がどこにいるか立ち位置がわかんなくなっちゃうから。憧れの人っていうのかな。この人のにようになりたいっていう、ドラマーならドラマーを1人見つけ、 2人見つけ、その人がどんな音楽を聴いているのかとか。そういうことを調べて、その人の音楽の原点、その人が作られた音楽は何なのかっていうのを知ること、

やっぱりね、日常のどんなことでもね、必ず音に繋がるから。心の葛藤をすること、イライラすることとか、楽しいって思うこととか、嬉しいって思うこと、悲しいって思うこととかの感情のリミッターをかけないことなの。それはめっちゃ音に繋がるし。

ドラマーでやっていこうって例えば思ってる人がいたら、紆余曲折なんてやっぱり人の3倍ぐらいあるし。上がったり下がったりなんてめちゃくちゃあることを、いちいち楽しむといいと思う。今楽しめてるかってわかんないけどね。ただもう気が付いたら紆余曲折ばっかなんだよね。それが財産になるはずなの。

ドラムが好き。やっぱりね、俺もドラムを見るとね、テンションが上がるわけ。自分のドラムセット眺めながらウイスキー飲んでると、 「うわ、なんか美しいな」って。別に人のドラムセットでもさ、うわドラムってすげえな、綺麗だなとかって思うってことは、もうやめれんのだと思うの。 仮に叩けなくなったとしても、ドラムを見ることはもう2度とやだなんて絶対にならないから。

でも中途半端にやるとね、何か挫折した時にね、見たくもなくなっちゃうわけよ。何があってもドラムを見る、見るだけでも。そこまで好きになれたら、いちいち自分で言わんでも、「あ、この人ドラム好きなんだな」ってわかると思うし、そこまで行けばね、技術の上手下手なんて、そんなことはどうでもよくなってくんじゃないかな。


——立花さんは、「プロフェッショナルであること」とはどのように感じますか?

立花:今日を良しとしないこと。今日のプレーが最高だったなって思わなければ、それはプロなんじゃないかな。どんな仕事でもさ、例えば最高のコーヒーを、「いや、もうちょっと美味しくできるんじゃない?」みたいな追求をやめない人がプロフェッショナルだから。単純に食べているとか、これだけ有名ですとか、知名度がありますとか。そんなことはね、プロフェッショナルでもなんでもないと思う。今日を良しとしなければ、その人はプロなんだと思うけどね。


——いいこと聞けました。では、最後に。これを読んでくれている人。多分CENTREのお客様が中心だとは思うのですが、何かメッセージいただけますか?

立花:CENTREの魅力は2つあって、それはね、この空間の居心地の良さ、自分が集中して何かを考えたい時とかね。自己との対話もできるし、やっぱりすごいなって思うのは、パワースポットみたいな。ここに行くと必ず縁が誰かと繋がるっていう場でもあると思うの。それは、イベントをやってたりね、そういう作品展をやったりすることによる、内向的に自分を見つめ直せる部分と、外交的なチャンスがある場所っていうのがね、ちょうど交わる場所というか。

なので、何かに迷ったら、何かを考えたいと思ったら、訪れればいいと思うし、何か人生を変えてみたい、何か最近刺激が欲しいと思ったり、高めたいって自分で思う時はまた来ればいいと思うし、 そういう場所って、やっぱりありそうでないから。

うん、何か始まりそうな感じが常にする。何か始まりそうな時って、人ってね、ワクワクするよね。気持ちがこう、昂るわけ。その気持ちが昂るっていうことが、 必ず何かに繋がるから。

それを求めて集う場所がCENTREなんじゃないかなと思うんだよね。


——素晴らしいです。ありがとうございました。


◾️立花朝人、ハンドパンによるソロアルバム!

『紡 -TSUMUGI-』

01:約束

02:雨のパレード

03:Mother

04:Take off

05:アルテミス・ワルツ

06:時のカタチ

07:月夜海 -tsukiyomi-

08:楽園

09:桜の便り届くころ

10:紡人


価格 3,000円(税込)

リリース形態

CD:ライブ会場、CENTRE店頭、HPよりお問合せでの販売

デジタル:Spotify、Apple Music、iTunes Store、LINE MUSIC、Amazon Music Unlimitedなどの音楽配信サービスにて提供 


◾️プロフィール

立花朝人(たちばな・あさと)

2018年、日本人としては初めてシルクドゥソレイユのドラムオーデシションに合格。幼少よりピアノを、12歳より打楽器を始める。クラシックから学んだ高い基礎力、音色の美しさに定評があり、R&B、POPS、JAZZ、FUNK、ROCK、LATINなど、幅広いジャンルに対応可能な東海屈指の人気ドラマー。ハンドパンとギターのユニット「MIO -美音-」としても活動中。

2016年 ドラムメーカー MAPEX&Beyond Shimano と専属契約

2018年 シルク・ドゥ・ソレイユドラムオーディション合格

2019年 カホンメーカー CHAANY と専属契約

2020年 NHK名古屋文化センターハンドパン講師契約

2021年 ロシアの楽器メーカー RAVVAST社と専属契約

2022年 ハンドパンメーカーMASH handpanと専属契約

2023年 名古屋新栄CENTREとオフィシャルパートナー契約

2024年 株式会社サンミュージック名古屋と業務提携

【公式HP】https://tachibanaasato.fieldm.jp/

【X】https://twitter.com/tachibana_asato

【Instagram】https://www.instagram.com/tachibana_asato

【YouTube】https://www.youtube.com/@AsatoTachibana


「MIO -美音-」

【公式HP】https://www.mio2021.com

CENTRE ■新栄の本屋+カフェ■

『CENTRE』は新栄の新しい本屋です。ひとりひとりの変革を支えることをテーマに、「もっと知りたい、もっと学びたい」という知的好奇心を刺激する書籍が、併設のカフェと共にお楽しみいただけます。